小堀流踏水術について

 私事である。猿木宗那というひとがいる。私が三十数年起居をともにした母方の祖母の実父である。明治期、第六代の小堀流踏水術師範を勤め、京都武徳会に於いて「日本唯一の游泳師範」といわれた。武徳会や学習院などで游法の普及に努めた。後昭和天皇はじめ各宮様方もこの游法を学ばれ大変お上手であったと伝えられる。

 藩は歴代藩主が武用として游泳を奨励した。今も甲冑をまとい泳ぐ泳法を見ること出来る。細川藩の参勤の列は少々川の水かさが増しても、踏水術を学んだおかげで留まる事がなかつたという。小堀流踏水泳法の祖は、小堀長順である。実父村岡伊太夫(小堀茂竹の妹婿)が泳ぎの奥義を極め、その子長順が小堀家に入り父の跡を継いで師範となり藩士の指導をした。又長順は茶道方としても藩に仕えた。肥後古流茶道・小堀流の三代目でもある。「踏水訣」「水練早合点」などの書を残し後世への伝承に努めた。

 二代目・池辺弥八郎、三代目・山東彦右衛門、四代目・能勢熊之允と継承された。五代目小堀清左衛門は水翁と号し、名人と言われ門弟一万人に及んだという。そして六代目が冒頭の猿木宗那である。水翁をして「異国本朝無双人」と言わしめたという。以降宗那の三人の弟、小堀平七、西村宗系、城義核等が学習院、京都武徳会、又京都、長崎などで普及に努めた。小堀平七が七代目、城義核が八代目の師範となり、九代目・広木寅雄、十代目・猿木恭経と継承された。昭和五十一年県重要無形文化財に指定され、現在も泳法の普及と後継者の育成に関係者の懸命の努力が続いている。


 (追記)平成16年9月27日学習院大学名誉教授・猿木恭経氏死去。93歳。

1952年から1994年まで小堀流踏水術師範(会長)を勤めた。亡母の従兄弟である。

2004.9.30記