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宇土細川家 川越名号伝来記

 寛永九年十二月忠利の肥後五十四万石移封に伴い、細川三斎(忠興)は愛息立孝らを伴い 八代城に入城する。忠興は自らの隠居料も含めゆくゆくは立孝に八代七万石を治めさせるべく 幕府に対し運動をしていたらしい。しかし立孝は正保二年二月三十一歳の若さで江戸で卒する。 追うようにその年の十二月三斎も八代において八十三歳で大往生を遂げてしまう。

 藩主光尚は立孝の子宮松(行孝)に正保三年六月、宇土三万石を内分しここに支藩宇土細川家が誕生した。三斎の遺品の多くは宇土細川家に引き継がれたらしいが、残念ながらその多くが散逸している。

 今回細川行芬公の御子孫が表装のために専門家にゆだねられた「川越名号伝来記」は、同家が所有したと伝えられる「御六字」の話を裏付ける貴重な資料である。 細川家菩提寺に寄進された豊臣秀吉より拝領の「川越名号」と称する書「御六字」はその行方は定かでないが、この伝来記は其の「御六字」に添えられていたものの写しと考えられる。

 現在の宇土轟にあった菩提寺三車山泰雲寺は明治四年の廃仏毀釈により廃寺となった。

 拝領に至る逸話としても面白いが、幽斎の平家物語に掛けた即興の歌がすばらしい。 尚、この文章は幕末の広島の医術士で儒学者の野坂完山の著「鶴亭日記」におさめられている ことが、広島市の高橋新一氏のご教示により確認できた。2004/12/5

 (尚、この事は細川家正史「綿考輯録」に以下の如く記事が見受けられるが幽齊ではなく、忠興としている。巻二十六参照)

 或時、秀吉公川越の名号を御床に掛させられけるに、二度迄落ける故、御機嫌悪かりけれハ、  
忠興君 梶原ハ一谷にて二度のかけそれハ高名是ハ名号 と被仰候得は、即時に御機嫌直り 右御掛物直ニ御拝領被成候となり

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川越名号伝来記

   夫 親鸞上人川越乃名号は 豊国大明神 太閤秀吉公の宝蔵に納置給ひし天下無双の 宝物なり 文禄年中浪華の御城内ニて太閤御 仏事の之有に 細川家の御生君二位法印 幽斎公ハ兼ての好ミといひ歌道ならひの其比識者 なるか故に御懇命召され 辱も御手自此名号 を御床に掛させられて拝覧されしに 折しも 風吹来りて 此名号を吹落しけれハ 太閤御覧ありて御立あらんとし給ふに幽斎公 御坐を立たれてもとのごとくに掛させられけるか いかゝし たりけん 又吹来りて吹落す 太閤また立給ひて□し(給はんとし) 給ふに はや幽斎公先立ちて是を掛直されしが その進退礼法故礼の矩に叶ひて 殊に優なりけれハ 太閤さすか名人の人なりとて甚御喜悦あらせ 給ひ かゝる折にも一首あるへき也との上意なり けれハ 取あへす御即興に□□(かく)なん 梶原は 一の谷にて 二度のかけ それは高名 これは名号 と詠されしかハ太閤猶も御感悦不斜の 余りに 其序にて此名号を下賜りける 其後ハ 深く宝庫に納置せられて御出陣ことに 掛せられて御武運も長久 遂ニ天下泰平ニ なりぬ 此故に幽斎公一入御尊敬ましまして より以来代々御相伝ありて 御宝軸や かゝる 霊物なれハとて天下泰平 御武運長久 国家 安全 且ハ御先祖歴代の御菩提并御子孫 御繁栄 祈らせられんか為に 御当山ハ細川家の 菩提所たるか故に 長く御寄付有之者也 肥後宇土 三車山 泰雲寺

【解説】読みのわからなかった物については伏字としていたが、広島市の高橋様から、広島の儒学者野坂完山の著「鶴亭日記」に「川越名号伝来記」が掲載されておりこれから    (  )書の如く読むものとかんがえられる。 

2004/12/5

  • 親鸞上人川越の名号
  • 御六字(おろくじ) いわゆる「南無阿弥陀仏」の六文字の書掛。宇土細川家においては「御六字」と 称してその存在が伝えられてきた。
  • 梶原は一の谷にて二度のかけ 源平の雌雄を決する一の谷の戦いで、梶原景時は生田の森で平氏の砦に突入 するが敵兵の猛烈な反撃に一旦引き上げる。息子景季の姿が見当たらない事 にきずいた景時は引き返す。景季は平氏の武者と戦い大童の状態、景時はこれを助けて砦から脱出した。平家物語が梶原の「二度懸け」として紹介する有名な 逸話である。
  • 泰雲寺 慶長年間に細川忠興が父藤孝の菩提を弔う為に創建した大徳寺高桐院末寺。 山号は三車山といい臨済宗であった。慶安年中(1648〜52)宇土支藩第二代 行孝が、正保二年(1645)没した藩祖立孝菩提のため、宮庄村(現宇土市宮庄町)旧法泉寺の寺地に建立し、高桐院の開山玉甫(細川藤孝・実弟)の法孫碩 翁宗胖を招いて開山とした。寺号は立孝の法名泰雲院立允宗功に由来し、その 後同家代々の菩提所で、長照・潮音の二末寺を有したが、明治四年(1871)廃寺となつた。(日本歴史地名体系44-熊本県の地名より)