20万俵の米を荷揚げしたという船着場跡 左が奉行所跡 右側奉行屋敷・御茶屋跡 右側に道があり道向うに米倉が現存する 静かなたたずまいが素晴らしい 船着場にある明治八年に建設された公衆便所 壊れ掛っているが、デザインがなんとも良い